「数字に強くなる」なるためにはどうすれば良いのか?
1on1 している中で「論理的に考える」「数字に強い」みたいな話を個別に断片的に喋ったので、改めてまとめてみた。
表面的なことにとらわれて、本質的ではない「データ分析できるスキル」「論理的思考力」「エクセルやSQLが使える」みたいなことが足りないと勘違いしている気がした。いま挙げたスキルはコンピューターが進化していく過程で補完されるので、いずれ人間が頑張らなくても良くなると思います。
本題に入る前に伝えておくと、
- 「数字に強い」とは、特別なスキルではない
- 「数字に強い」とは、論理的に考える “だけ” ではない
- 「数字に強い」とは、小難しい計算式が扱えることではない
数字に強いとは何か?
「数字に強い」というスキルには「現象を観測する」行動が含まれています。
「現象を観測する」とは、以下の3つの行動を指します。
- 成功を定義して、失敗時の言い訳を考える
- 現実的な時間内に測定可能な方法を考える1
- コントロールできない指標を発見する
そして、この行動を通して「論物一致」させることが「数字に強い」ということです。
現象を観測する
成功を定義して、失敗時の言い訳を考える
人間は見たもの聞いたものを都合よく解釈する生き物です。記憶すら無意識に、都合よく改ざんする生き物です。
一度手をつけた仕事の成果をあとから客観評価することはできません。誰もが自分のやったことが何の役にもたたず、無駄だったとは思いたくないのです。仕事が長期間になればなるほど、その仕事には意味があるという認識が強まります。
だから、仕事を始める前に「成功」と「失敗」を定義すべきです。その定義は定性的ではなく、定量的であるべきです。目標設定とはそのためにあります。数字に弱い人は、これを自分で定義できません。
数字に弱い人は、仕事に取り掛かる前に決めず、あとから分析し始めます。そして、必ず自分の仕事を正当化するデータを探します。これは人間の持つ「自分に都合の良い解釈をする」性質によるもので、無意識の行動です。結果として、うまく行ったと説明できるデータを集めたり、どちらとも言えないデータを持って「悪くなかった」と解釈します。
これを防ぐためには、失敗した時の言い訳をあらかじめ考えることです。 言い訳なので「〇〇がなかったから、うまくいかなかった」など、無責任で他責な内容であるほど良いです。無責任な言い訳が思いつくほど、目標設定がシャープになります。
これは一般的な手法で、「死亡前死因分析」といいます。興味があれば、「お前はもう死んでいる」から始めるスタートアップのプレモータム分析を読んでみると良いです。
現実的な時間内に測定可能にする
成功または失敗が定義できれば、あとはそれを正しく測る方法を用意すれば良い。ただし、潔癖性で過剰に正確さを求めると測定できないので、「確からしい」測定データを選ぶことが求められます。
数字に弱い人は、正確に測定できないと諦めます。もしくは、些細なノイズを気にして「そのデータは意味が無い」と言います。
ノイズは「プラスに働くか?」「マイナスに働くか?」がわかれば正確な指標になり得ます。目標10に対して測定結果が12だったとき、測定ノイズがマイナスに働く(実際より小さく観測される)のであれば何の問題もありません。判断に足る “確からしさ” があれば十分です。
また、測定は「現時的な時間内」でなければ意味がありません。仕事には期限があります。数字に弱い人は、「まだわかりません」と言います。これは冷静に考えると、数字に弱い人を通り越して、ただの仕事ができない人です。
コントロールできない指標を発見する
数字に弱い人は「コントロールできない指標は役に立たない」と考える。 数字に強い人は「宇宙の法則を発見した!」と喜ぶ。
コントロールできない指標は、何かの施策を考える際には役に立たない数字ではある。これは正しい。
でも、方程式に定数(固定値)として組み込めるので大変使い勝手が良い。だから、コントロールできない指標はモニタリングし続けるべきである。
数字を読み解く「論物一致」
「論物一致」とは、数字(論理)と現実世界の現象(物理)を紐付けるスキルです。僕の解釈では、これを「数字に強い」と言っています。
雑な例ですが、
- 論理: 金曜日の夜はアクティブユーザーが少ない
- 物理: 金曜ロードショーで面白い映画が放送されているのでは?
と、数字の動きと現実世界の動きを重ね合わせて視ることです。
「論物一致」の理想は、数字を読めば現実世界で何が起きているか理解できることです。つまり、数字を視るだけで、業務プロセス、関連組織の構成がわかり、メンバーと直接会話せずにコンディションがわかるということです。言い換えると、現場を観ていなくても視えている状態です。
これを実現するためはモニタリングを適切な解像度まで上げる必要があります。そして、現場の状況と数字を重ね合わせていくことで、「論物一致」を磨くことです。これが、数字に強くなるということです。
番外編: 「分析」という幻想
分析していないからわからない
分析の前に仮説が必要であり、仮説が立っていれば「分析」していなくても半分答えが出ている。「仮説を立てる」とは「結論を導く方程式を立てること」こと。
例えば、マジックナンバーである「初日に5人以上フォローしたユーザーは継続率が高い」を決める際の良い仮説は、
初日にN人以上フォローしたユーザーの継続率はそれ以外のユーザーの2倍である
である。
ここまで論点が絞れていれば、Nを分析して見つけ出すだけ。
もし、この仮説がほんの少し甘ければ、「K日以内に、N人以上フォローしたユーザーの継続率はそれ以外のユーザーの2倍である」であった場合、分析の工数は少なくともK倍かかる。
仮説の立て方が甘く、論点が僅かにぼやけるだけで膨大な時間が浪費される。 逆に、良い仮説が立てられており、論点が言葉通り「点」に絞れていれば分析にほとんど時間はかからない。
データが無いからわからない
「現象を観測する」行動をとっていれば、あとからデータが取れていないという状況を概ね回避できる。データが無いのは「成功を定義して、失敗時の言い訳を考える」「現実的な時間内に測定可能な方法を考える」がそもそも欠けています。
そして大事なことは、 「データは過去に何が起こったか」は教えてくれるが、未来は語ってくれない のです。「過去に何があったか?」ではなく「これから何を実現するのか?」が人の仕事です。
つまるところ、データが無いからわからないというのは、自分の意志の無さの表れです。「論理的思考」が足りないではなく、「数字に弱い」のでもなく、単純に「決める」ことができない優柔不断なのです。自分で決めた責任をとるのが怖くてデータの言いなりになり、失敗したら「データが間違っていた」と言いたいのです。
A/B テストを始める前に知っておきたいグロースハックの考え方でも同様の考え方を書いています ↩